2009 02/ 9
- 「未来をひらく福澤諭吉展を観て」林望(作家、書誌学者)さんのメッセージを掲載します。
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福澤諭吉、その広さ、深さ、そして豊かさ 林 望(作家、書誌学者・塾員)
福澤諭吉という人に、いま肩書きを付けるとしたら、いったいなんとすべきだろうか。教育家、経済学者、蘭学者、英学者、思想家、著述家、実業家……、そのいずれでもあり、いずれでもない、とでも言うほかはないだろう、と私は、この展覧会を通覧して思った。
一つの肩書きで済ませることができるほど、福澤という人は、小さくもなく、単純でもない。慶應義塾が、零細な福澤蘭学塾に発して、やがて今日の大を成したについては、たしかに福澤の衣鉢を嗣いだ塾員たちの尽力によるところも大きいけれど、その多くの俊秀を動かして塾を大ならしめたのは、ほかならず、福澤の人間の大きさと多面性、そしてその人徳と魅力によるところが大きかったに違いない。
諸学校の教育、経済界への貢献、芸術への寄与、啓蒙思想の実践、ひいては慶應のリベラルな学風から、都会的でスマートな慶應ボーイという「イメージ」に至るまで、その萌芽はすべて福澤自身の六尺豊かな身体と柔軟な心の裡に予め用意されていたのだということが、この展覧会をみると、よくよく理解できる。
だから、かかる記念展を催さんか、その視点の及ぶところ多岐多彩に亙らざるを得ない。その意味で、今回の展示が、福澤の身体血縁から説き起こして、ソサエティを巡る歴史と意識、その具体化としての著述と教育、というふうに展開し、やがて国家との関わりから、毀誉褒貶半ばするアジアへのまなざし、さらには慶應人脈に連なる人々の足跡、美術的コレクションに至るまで、まさにその福澤を巡る「古今東西大博覧会」の偉観を呈するのは、蓋し当然のところ、それだけに本展キュレーターの驚くべき周到稠密な企画力には、真に脱帽のほかない。とりわけて、ミル『功利主義』の福澤手沢本や、『慶應義塾紀事』稿本の如き、彼の思想の形成過程を示す資料の多き、刮目すべきものがある。また、たとえば明治初頭の絵図面『慶應義塾全図』や、累代の多彩な建築物の写真や図面などの資料、これらは美術史建築史的な面白さでも見ていただけよう。
私自身としては、予て福澤の男女平等論に深い敬意を抱いていることもあって、その家族写真や庭てい訓きんを示す資料などが心底懐しく、また人間福澤の最も愛すべき所以が見て取れて好ましかった。こういう展示を見て、展示会図録(この図録また大資料集覧の趣を呈し、近年出色の逸品)の西沢直子氏「家族とは何か」を併せ読むならば、なぜ福澤があの時代にあって真にUNIQUEな、また異端にして先進的な思想家であったかということがぐっと心に落ち着くのである。私自身、慶應義塾に学んだことを大きな幸いであったと思う。そして、塾祖福澤諭吉に対する思慕敬愛の念は歳を逐うて深まるばかりであるが、その敬意の根拠を、この展示が与えてくれた、それが最も嬉しかったことかもしれない。
(『三田評論』2009年2月号より転載)

